河津町田中地区では、毎年7月末から8月の初旬、一日だけ来宮神社の大幟の”土用干し”作業が行われる。
明治初期、皇居に架かる二重橋改修工事に当たって、田中地区の山から「沢田石」(伊豆石)を切り出しこれを用いることとなり、石切り人夫が入り込んでいた。
現場監督として、東京から宮崎さんというご夫妻も出張してきた。
その頃、来宮神社の幟を作り、偉い人に書いてもらいたいと村人が話し合っていた。そんな矢先、村人が宮崎監督と将棋を指しながら幟のことを話したところ、監督の奥様が「山岡鉄周」先生の奥様と親交があると聞き、その手づるで山岡先生にお願いし、東京まで出向いて書いていただいた。
明治15年のこと。
執筆のお礼に、上木炭50俵を送ったそうだ。(来宮神社と氏子の歩みから)
この直筆は、およそ20mあり、田中地区の当番班によって真夏の晴れた日に虫干しし、大切に保存されています。